エンジェルムーン♡ブルークリスタル

エンジェルカードが導く優しくあたたかな毎日

曾我泰久さんについて


こんにちは(*´∀`*)



ひんやりした朝を迎え
一気に秋が深まったような日曜日。
いかがお過ごしですか?

私は季節の変わり目に症状が出がちな
鼻炎でグズグズです(笑)

春の花粉は平気なのにねー。


今日はカードには関係のない話。
ただの日記で何のオチもなく
しかも告白です。
ですので、ここから先は
ご興味あるかただけお読みくださいませ〜




♥♥♥♥♥♥♥♥



今年ってなんだかすごいよね。

何が、って
もういろんなことが
いろんな意味で。


昨年もめまぐるしかったはずなのだけれど
それをはるかに上回っている。


私自身もさまざまな変化がありました。

これから書くことは
そんな変化のなかのひとつです。



♥♥♥♥♥♥♥♥



中学生の頃
私は The Good-Bye という
グループが好きでした。

野村義男さんがバンドをやりたくて
結成されたジャニーズのアイドルグループ…
という括りで良いのかな?


当時の私はそれまでシブがき隊が
好きだったんですが
どんな経緯だったかまったく思い出せないけれど
曾我泰久さんのことを知り
ファンになったのですね。


程なくしてグッバイがデビューして…


私はグイグイとのめり込んでいったわけです。
グッバイ、そしてヤッチンこと
曾我泰久さんに。

その頃の私は今みたいに
ファンクラブに入るとか
そういう考えが思い浮かばなかったので
いわゆるお茶の間だけのファンでした。

でも!!
気持ちはアツかった!!はず(〃∇〃)

テレビ番組、ラジオ番組
アイドル雑誌(当時は明星や平凡など)から
情報を得ていたのです。
SNSなんてなかったですから(*´艸`*)


シングルもアルバムも発売日に
バスに乗って駅まで行って買っていました。
お小遣いやお年玉を貯めて😊

とにかく私はヤッチンが大好きだったので
雑誌の記事は読み込みまくりましたね。
いまだに謎なのが
女性は黒いタイツさえ履いていたらいい、と
何かで仰っていたこと…

意味がわからないまま数十年(笑)


新曲が発売されると
光の速さで覚えました。
若さって素晴らしいな、すぐ覚えてしまったもの。

そして、私の楽しみは
ヤッチンのハモリを再現することで。

たいてい野村義男さんが主旋律を歌い
ヤッチンはギター&ハモリが多かったので
テレビやラジオやレコードやテープ(!)で
グッバイの曲を流しながら歌う時は
一緒にハモってました♪


ヤッチンは音楽的な才能が素晴らしく
ギターだけでなくピアノも弾くし
ドラムも叩くし
確かトランペットも吹けた(はず)ので
それだけでもかっこいいのに
作詞作曲もするし歌もうまいし
顔もかっこよかったし

本当に本当に
マジで!!お嫁さんになりたいと思っていたの。
(バーカバーカとこだまするMy voice)


それでね、グッバイの曲は
なんて言ったらいいのかな…
いろいろなジャンルがあるんだけどね。

不思議と、どの曲からも
元気や勇気を感じていた私。

キュンとするような甘酸っぱい曲も
おまえをかっさらうぜ!!みたいな曲も
ダメな自分をせめるような曲も
新しい道に進む決断の曲もすべて。


ファンの欲目だけではなくて
楽曲の素敵さ、素晴らしさは
いまでも色褪せていない。

当時はジャニーズのアイドルが
バンドをやっているという偏見からか
あまり評価されていなかった…と
中学生の私でもわかるくらいには
受けいれられていなかったように思う。

こんなに、いい曲ばかりなのに。

とてももどかしかったな。
私がもどかしがっても仕方ないのだけど。


演奏だってうまかったもん。
野村義男さんのギターの腕前は
その頃から逸脱していたし
衛藤浩一さんのドラムも
加賀八郎さんのベースもずば抜けていた。
音パクも口パクもなかった。

ヤッチンのギターも
義男さんとは全然タイプが違うのだけど
独学とは思えないテクニックで…


私はグッバイの音楽に
大げさでも何でもなく
救われたんだよね。


中学の時って
嫌なことが結構多くて
(特に女子特有のこととかさ)
うわぁ学校行きたくなーい!!っていう時や
何なん?あの人、と憤りを覚える時や
濡れ衣的なものを着せられた時や
その他…

私はグッバイの音楽と
ヤッチンの存在に救われ
前に進む勇気を貰っていたのです。


だから感謝してもしきれない。



晴れて高校生になってからも
しばらくは情熱を傾けていたのだけど

気付いたら
きらいになったわけではないのだけど
だんだんシングルやアルバムを
買うこともなくなっていき…

そう、その時も気付いたら、だった。

グッバイが活動休止期間に入ったのよ。
解散ではなく活動休止。


そうなんだ…と
一抹の寂しさを覚えながらも
その頃の私は切れめのまったくない
ジャニヲタ歴のSMAP期を過ごしていたので
グッバイのことは少しずつ少しずつ
頭から離れていったように記憶しています。


それでも
ヤッチン個人のことは
時々考えたりしていたの。

そういえば
あんなに好きだったのに
生で会ったこと一度もないじゃん。
LIVEも行ったことないし。

ヤッチンに生で会ってみたいな。

そう思っていた矢先に
新聞で見つけた川崎クラブチッタでの
ヤッチンのソロLIVEの情報。

知り合いが一緒に行ってくれることになり
初めてヤッチンのソロLIVEに参加したのは…
もう25年くらい前になるのかな。

LIVEHOUSEでオールスタンディングだったから
勝手のわからない私たちは
一番後ろのほうで観たのよね。
座席ないの苦手だし。

ステージで楽しそうに歌う
生ヤッチンはキラキラ輝いていたなー。
私たちが観ている近くに
なんと義男さんがいたという。
ソバージュ風の髪型でロン毛だったためか
誰かが「ヨッチャン、チャウチャウ犬みたい」
などと言っていたっけ(笑)


初めて観たヤッチンは
人波から見え隠れする姿。
それでも生の姿が嬉しかった。



♥♥♥♥♥♥♥♥



そして。
それからは切れめのないジャニヲタ歴を
SMAPからV6、V6から関ジャニ∞
更新をし続けて現在に至るのですが。

いつも心のどこかに
小さく佇んでいたヤッチン。


時代が世紀末を迎え
21世紀になった頃。
結婚した私。

その頃は自宅にPCがあったので
ふと思い出して
ヤッチンのことを検索してみたの。


ヤッチンのホームページがあり
ファンクラブも存在していました。
コンスタントにアルバムを出したり
舞台俳優として活躍していたり
LIVE活動も行っていて…

なぜだかわからないけれど
泣けてきて涙が流れたことを
覚えています。

現在もホームページは更新されているし
ファンクラブもにぎわっているようです。

もちろん活動も精力的。
さまざまな角度からのアプローチによる
LIVEツアーをされているし
楽曲提供なども変わらずされている。


もちろんグッバイとしての活動も。


ヤッチンの舞台行きたいな、
グッバイのLIVE行きたいな、
ファンクラブ入りたいな、
そう思いながらも
ジャニヲタとしての活動(というのか?)で
手一杯で思うだけの
行きたい行きたい詐欺師でしたが…


この夏
初めてグッバイのLIVEに参加できました♡

8月31日に中野サンプラザで開催された
35周年LIVEに♡


こんなこともあるんだなと
不思議な気持ち。

こんなに長いスタンスで
好きなのはヤッチンしかいません。

もちろん離れていた時期もあるし
デビュー前から今まで一筋というわけでもないし
知らないことがたくさんあるんだけれど。


それらをひとっ飛びする勢いで
LIVEに参加してからの私は
ヤッチンにまた惹かれています。


知らなかった時期を
無理に追うこともしないし

でも知るはずのことなら 
受けとめていくし

確かに55歳のヤッチンは
私が熱を上げていた21歳のときからすれば
年月を重ねてはいるし
年輪もきざまれてはいるのだけど…

私が思う55歳の概念を
良い意味で覆してくれる。


そして
私はいまのヤッチンが好きだし
最高だと思うけれど
昔のヤッチンも同じくらい好きだし
最高だと思う。

いついつのヤッチンが一番とか 
この髪型の時はちょっと…とか
そんなこと関係ない。


この前の中野サンプラザのLIVEは
座席に恵まれたこともあるけれど
あんなに近くで長い時間
ヤッチンの歌う姿やギターを弾く姿を
観ることができて
本当に嬉しくて楽しくて幸せだった。

生のヤッチンは
かっこよくて優しくて大人の魅力に溢れて…
それでいて大人だからこその
強くも儚い哀愁みたいなものもあり…


何でいまなのかはわからないけど
惹かれるままに流されてみようと思う。


f:id:angelmoonsun458341:20181014134352j:plain